「あんな家には絶対戻らない。」
   唇を噛み締めて、当てずっぽうにぶらぶらと歩く。こうして町を歩いてみたところで何も変わらないのに。私、東海林華李は今日初めて家出しました。
   母と進路の事でケンカになり家を飛び出してきた。だが何故か今私はある飲食店街の一つの店の中でわけの分からない同じ歳位の男子生徒二人と向い合って座っている。
  「ハナリちゃんっていうんだ。家出? 家出だべ。」
  妙にテンションの高い少年、涼。
  「涼、華李ちゃんを困らせてどうすんだず。」
  妙に落ち着いた少年、羽空。この二人が、飲食店街花小路の前で立ち尽くしていた私を見つけて家に連れて来たのだ。正確にいうと、涼に連れて来られたのだが。
  「泊まる場所ないんならここに泊まりなよ! 客室もあるし、もう遅いから! ね。」
  何故か涼の親も私を泊めてもいいと言ってくれているのだ。
  「俺も今日泊まっていくつもりだし、いいんじゃない?」
  羽空まで言い出した。私も泊まる場所がなくて困ってたのは確かだけどでもいきなり知らない人の家に泊まるのはいくらなんでも気が引ける。戸惑っている私に涼が最後の一撃を入れた。
  「今更帰るわけにも行かないでしょ? それとも帰って母ちゃんにごしゃがれた方がいいの?」
  そう、ここで帰っても怒られるだけだし今更帰るわけにも行かないのだ。
  「泊まらせて……下さい。」
  私が言うと涼がにんまり笑った。
  「お客様、ご案内しまーす!」
  声を張り上げる涼の後ろをうつむきながら通って行く。
   案内されたのは店の二階だった。にぎやかな一階とは違ってしんと静まり返っていた。
  「華李ちゃんはこの部屋、羽空はこの部屋。」
  涼が大きい和室と小さい和室を指さした。羽空はためらいもなく小さい方の部屋に入って行った。
  「ほら、華李ちゃんも!」
  涼に背中を押されて大きい方の和室に入る。
  扉が閉まったのを確認してため息をつく。なんでこんなことになっちゃたんだろう。賑やかすぎて疲れるなあ。泊めてもらっているにもかかわらずそんなことを思っていた。
  何もないこの部屋は、いかにも客室ですという感じだ。窓の外を覗いてみると……
  「わあ!」
  思わず声を出してしまう。こんなにきれいな景色は久しぶりだ。暗い中で店の明かりがきらびやかに光り、なんとも言えない暖かい雰囲気の町になっていた。
  「きれいだべ。」
  いつの間にいたのか羽空が扉のところに立っていた。
  「ここの部屋から見える景色が一番きれいなんだよ。涼に感謝しろよ。」
  そう言われても……
  「華李! 晩飯まだだべ! 俺がおごるから一緒食おうぜ!」
  とうとう呼び捨てになってしまったか……。というか涼の言葉は最後にかならず『!』
  が付いている気がする。苦笑していると涼に腕を引っ張られる。
   なんでこんなことになってるの? 涼の家族に囲まれて食卓に座る自分に苦笑いしてしまう。
  「どんどん食ってけろ。女の子が来るのは久しぶりだねえ。」
  涼のお母さん遥子さんがニコニコしながら食事を運んでくる。
  「ありがとうございます。」
  頑張って笑顔を作る。ああ今日はよく眠れそうだ。こんなに疲れる夕食も、こんなに変わった人たちも始めてで、少し疲れすぎてるから。
   やっとのことで夕食を終え、さっさと部屋に戻って布団を敷いた。そしてすぐに睡魔が襲って来た。そして気づいたらいつの間にか寝ていた。
  「華李! 起きたんだ! ほら早く着替えて降りてこい! 朝飯食うぞ!」
  朝からテンション高いなあ。まだ寝ぼけたまま目をこすって起き上がる。
  「おはようございます。」
  少し寝ぼけた声であいさつをして食卓の前に座る。羽空はすでに座っていた。
  「ここの家朝が早いんだよ。店の仕込みしておかなきゃいけないから。」
  羽空が私に耳打ちした。
  「それから、この家に泊まった人は必ず店の手伝いをしなきゃいけないっていうルールみたいなもんがあんだよ。」
  ふーん、と何気なく聞いていたけど数秒後にやっと意味を理解した。
  「えー?」
  それってつまり私も今日は手伝わなきゃいけないってこと? そんなこと聞いてないよ!
  「今日一日よろしくね。」
  あたふたしている私を見て羽空がにっこり笑った。もしかして羽空ってドS?
  「あの、私そんなこと聞いてないんだけど。」
  「華李ちゃんは買いだしね、涼と羽空に案内してもらってね。」
  わたしの声なんか聞こえてないみたい。
  「華李、十分後に出発な! 早く食えよ!」
  なんでみんなこんなにせっかちなんだろう。そんなことを思いながら朝食を急いで食べ始めた。
   泊めてもらって、ご飯まで出してもらってやっぱり手伝わないわけにはいかないよね。
  昨日履いてきたサンダルを履いて外にでる。外には既に羽空と涼がいた。
  「華李! おそいず。早く行くべ。」
  しばらく歩くと近くのスーパーについた。今日買うのは鶏肉と、牛乳と、お酢らしい。
  私はカートを押して涼の後ろをついて歩く。さすが飲食店だけあって買う量が半端ない。
  お陰で帰り道は地獄のようだった。
  「全部冷蔵庫に入れといて。」
  大ざっぱな指示に困りながらも何とか頑張った。
  「華李! 次は鶏肉を串に刺しておいて!」
  涼もしっかり仕事に入っていてあのやんちゃっぽい涼とは大違いだ。一方羽空の方はほとんどいつもと変わらず、笑顔で難なく仕事をこなしていた。最もいつもと、と言っても昨日あったばかりなのだが。
  「痛っ!」
  鶏肉を串に刺す、と一言で言うととても簡単に聞こえるが実は結構難しい。さっきから何度も指に刺してしまっている。
  「不器用すぎだろ!」
  無邪気に笑いながら涼が後ろから手をとって一緒に動かしてくれた。
  「まず串を長く持って。んで指二本で肉を持って刺してみろ。」
  優しい声にびっくりする。なんだか新しい涼の一面を見た気がする。
  「どうしたの?」
  涼の顔を見つめていたら涼が不思議そうな顔で覗きこんできた。
  「なんでもない……ありがとう教えてくれて。」「どういたしまして。」
  一瞬で笑顔になった涼は自分の担当に戻っていった。すると今度は羽空が覗きに来た。
  「俺、家庭的な女子がタイプなんだよね。」
  笑顔ながらもさり気なく嫌味を言われた。
  「すみませんね!」
  はいはい、どうせ私はガサツで不器用で、家庭的じゃないですよ。心のなかでため息を付きながらまた一心に鶏肉を串に刺し続けた。
   やっと終わった。手はもう疲れすぎて震えている。ああ、腱鞘炎になっちゃいそう。
  「お疲れさま。」
  涼と遥子さんが冷たいお茶を持ってきてくれた。
  「ありがとう御座います。」
  涼のお母さんにお礼を言ってお茶をもらう。そして涼に向き直った。
  「涼いっつもこんなに働いてたの?」
  「うん。まあ今日は人手が多くていつもより楽だったけどね。」
  さらっとすごいことを言う涼に思わず見入ってしまう。いつもこんなに仕事をしてるなんて尊敬しなきゃ。それに比べて私は家出なんて、恥ずかしいことだ。自分でも呆れてしまう。でもこんな楽しいところにいたら帰りたいなんて思えないよ。
  「もう一日泊まらせてもらえる? 明日も手伝うから。」
  涼に思わず頼んでしまう。ああ、こんな人に頼むことになるなんて……。涼は当然、
  「もちろん! 何日でも泊まってってけろ!」
  満面の笑みで受け入れてくれた。
  「でもちゃんと親に連絡しとくんだよ、心配するだろうし。」
  「うん、分かった。」
  さり気なく気を使ってくれたことが嬉しかった。メールくらいはしておこうかな。今夜は携帯の画面とにらめっこすることになりそうだ。
   もう朝だ。やっと三時にお母さんにメールできた。今日も頑張んなきゃ! 頬を両手で叩いて自分を起こす。
  「おはよう、華李。今日もよろしくな!」
  ポンっと頭を叩かれた。
  「はいはいがんばります!」
  笑顔で答えてみる。なんかくすぐったいけどすっごく楽しい。こんな生活が毎日続けばいいのに。
  「華李、今日は買い出しと漬物がかりね。時間余ったら花小路案内してあげる。」
  楽しそうにはしゃぐ涼を見ているとなんだかワクワクしてくる。元気が出てくる。
   終わったのは六時くらいだった。店の皿洗いを少しして休憩をもらった。
  「華李! 外出よう、今きれいだよ。」
  涼に手を引っ張られた。
  「羽空は?」
  「だって今あいつバイト中だから。あいつ実は一歳歳上なんだよ。もう高校生でうちでバイトしてんの。」
  ずっと同い年だと思ってたからちょっとびっくりした。でもあの落ち着いた性格だから普通といえば普通かも。
  「ふーん。」
  いつの間にかたどり着いていたのは店の屋上だった。
  「綺麗だろ。この夜景みると落ち着くんだ。なんか暖かい気持ちになるっていうか、不思議と元気になるんだ。」
  誇らしげに語る涼を見てるとこっちまで嬉しくなってくる。
  「じゃあこの景色は涼に似てるのかも、自然と笑顔になれるの。涼といるとね。」
  すごい恥ずかしいことを言ってることは自分でもわかっていた。でも涼になら何でも言える気がする。不思議だよね、この前あったばっかりなのに。
  「華李に言われるとなんか恥ずかしい。」
  顔を赤くする涼を見てるとなんか微笑ましいなあ。
  「そろそろ戻ろう。店の手伝いしなきゃ。」
  明るく、暖かい町の光を見ていたいけど手伝いに戻らなきゃ。
  「そうだな。」
   あれから私は一週間涼の家に泊まった。もちろんお手伝いも毎日した。でも今、私は問題を抱えている。私はホームシックになりかけている。最近家が恋しい。涼の家族を見ているせいだろう。あんに仲がよく協力しあってる涼の家族見てると私もお母さんに謝らなきゃって感じてきた。
  「華李ちゃん、そろそろ帰ったほうがいいんじゃない?」
  私の様子を見た遥子さんが声をかけてきた。
  「やっぱり心配してるかな?」
  「そりゃ心配してるべ。それが親だよ。」
  遥子さんに言われると私まで心配になってくる。
  「やっぱり私帰ります。」
  やっと今決意できた。
  「そう、なら早く行ったほうがいいよ。気が変わる前にね。」
   遥子さんに言われるがままに私は荷物をまとめて店を出た。涼にも、羽空にも何も言わずに出てきた。言ったら泣いちゃいそうだから。この街での日々が楽しすぎたから。
  「また戻ってきます。絶対。」
  そう遥子さんに伝えて出てきた。
   家に帰るとお母さんが抱きついてきた。ごめんね、ごめんね、と言いながら。お母さんは何も悪くないのに。私も謝ってから花小路での日々を話した。お母さんは頷きながら聞いてくれた。私は心のなかで涼と羽空と遥子さんに感謝した。
   あれから二ヶ月、私はお母さんの希望通り地元の高校を受験した。でも私は後悔なんかしていない。私には新しい夢ができたから。そう……。
  「涼! ただいま!」
  懐かしい町を歩いていると見覚えのある姿を見つけた。
  「華李!」
  驚いたように目を大きくする涼に余裕の笑みを見せる。
  「おかえり。」
  涼も笑顔で答えて……私のことを抱きしめてくれた。
  「なんだよ、俺に何も言わずに出て行って。突然帰って来て……。」
  涙混じりの声に微笑む。
  「涙は似合わないね、涼。でもごめん、これからは絶対いなくならないから……私ね、高校に入ったら涼の店で働きたいの。」
  そう、わたしの夢はあの店で働くこと。大好きなこの町で。
  「また見たいなあ。あの夜景。」
  「今夜みよっか。」
   今年で高校一年生、涼と同じ高校です。

